みかんの木

毎日祖父母の家へ行く。今日は、おじいちゃんが大切にしていたみかんの木の方へ。

家から離れた山間に、みかんの木はあった。前は6〜7本、さまざまな種類のみかんがなっていたけど、今は2本だけ。それでもその木々は、みかんの実を毎年実らせていた。

今年も冬、美味しそうなみかんを100個くらいは実らせていたと思う。

でも、盗まれてしまった。

 

よくニュースで野菜が盗まれた、果物が盗まれた、そんなニュースを目にしていたけど、まさか自分たちにその犯罪が起きたとは。出荷をしているわけではないので、泣き寝入り。

私は普段は離れた土地に住んでいるので、この話を聞いた時は衝撃だった。

 

 

泣き寝入りはあまりにも悲しいので、近所の人たちには盗まれたことを伝え、みかんの木の入り口には、簡易な柵を作った。みかんを盗らないでの看板も、また実のなる頃に設置して、できる限りの予防はしようと思う。

 

海外の方だろうか。それとも近所の人だろうか。それとも通りすがりの人?

疑っても仕方ないので、また来年。何事もないよう祈るのみです。

亡くなった人の形跡

昨日に引き続き、祖父母の倉庫の壁の修理をしました。

昨日は枠組みを測ったり、家族でどのように修理するかということを話したり、ホームセンターに行ってみたりしました。

よく田舎で見る倉庫の壁に使われる素材を買おうとしたのだけど、重い、値段が高い、扱いづらそうなどなどの理由で断念。一度今使っている素材を使って一時的な修理をしようかという話になった。

 

倉庫の窓枠のようなところに、今にも外れてしまいそうな、取り付けられていた木材の壁を直す。

外側についているから、内側につけると良いだろうということで、2階に登り、内側からの修理を行う。

初めて登った2階、そこには、おじいちゃんが農業で使っていた道具や、これまでも倉庫を直してきただろう木材や、藁や、ビニールなどがたくさんあった。

 

祖父母は物を大切にする人だった。

 

そんなことを思い出しながら、祖父母の倉庫を少し触らせてもらった。ずっと生きていてくれればいいのに。いつでも会えて、いつまでも元気でいてくれればいいのに。元気だった姿を思い出しながら、壁の修理は終わった。

祖父保の倉庫の壁

倉庫の壁が壊れていた。

祖父母の家だ。人が住まなくなると、そして管理する人がいなくなると、こんなにも家は脆いものなんだなと思う。

誰かに大切にされると、いつも綺麗でどっしりと見えるのに。

誰もいないと、なんだかもの寂しくて。

 

朽ちていく壁の木材が際立って見える。大切にできるうちに大切にしたいと思う。

必要とされないと、必要としてくれた人と一緒に死にたい。私が家だったらそう思うかもしれない。

 

 

祖父母の家

帰省すると祖父母の家へ行く。

もう二人とも亡くなってしまった。そんな家は庭も荒れて、家の中も暗くて、人の気配がまるでなくなってしまった。

庭の木々には二人のこだわりがたくさんあって、大切に管理していた。

私は遠方に住んでいるから、帰ってくるたびにその庭の木が枯れていたり、雑草でどんどん覆い被されていく様を見るのがすこし寂しく思っている。

今日は木に絡みついている蔦を、根をさがしては引っこ抜いた。果てしない作業のように思えるけれど、根が見つかった時は嬉しい。

そして、枝に絡まっている蔦をみていると、根のように感じる。地中でも、地上でも、根や蔦で複雑に絡み合い、一つの集合体になるのだなぁと、妙に納得してしまった。

 

そうやって森ができて、簡単に倒れなかったり、支え合って生きているんだなぁと思う。

そんなことを思いながら、その蔦を薙ぎ払った。

旅の帰路に出会った人

夏の週末には各地でフェスが開催される。

私も今年は行ってみた。その帰り道新幹線でうとうとしてると、私の隣の窓側に座っている方が、移動販売でビールやお菓子を買っていた。ここで頭を上げて、起きてしまうと目の前でお金や商品のやりとりが行われているのを見守ることになってしまう。そのまま頭を下げ続けて寝ようとしていた。すると

「これいる?」

ととなりの方から声がかかった。

「え?」

5割ほど寝ていた私は、予想外に話しかけられたこの状況を理解しようと頭を働かせる。その方は続けて

「よかったらこのお菓子食べて〜」

なぜこの方はお菓子を私に…?お菓子をくれるということは、どういうことなのか?そこで私は咄嗟に、

「私なにかあげましたっけ…?」

と聞いていた。何かをあげたから何かが帰ってきたんだと思ったのだろう。

 

「いやいや、隣で今からお酒飲むから嫌かなと思って、ごめんね、」

隣の方はそう言い、じゃがりこを渡してきた。お酒を飲むため、隣の席の人への気遣いだった。気にせず飲んでいいですよと伝えたが、頑なだったため受け取り。なんだかんだでお酒もいただき話をしながら駅へ着いた。この方もフェス帰りかと思ったら、全然違くてサーフィンしての帰りだという。私はダイビングをするので、海の話などを楽しくした。

旅の移動ってこういうことあるなぁと思いながら。

結婚について

33歳の時、結婚した。

それまでは、結婚する気もなかったし、子供も欲しいと思わなかったし、いわゆる家庭を持つなんて想像もできなかった。

結婚興味ないんですなんて言っていた頃は、よく「本当に人を好きになったことがないんだね」なんて言われをされたりもした。このセリフは、とてもいままで付き合ってきた人たちのことや、付き合ってたことを否定されるような気持ちになるから好きじゃなかった。

 

結婚したのは、好きなのは大前提で、それプラス生きていく上でお互いを補い合えるくらい違うタイプだったからだった。あと、浮気とか、そういう心配を減らしたかったのもある。

一人で生きていくと、相手の人と出会う前までは本当に思っていた。ただ、不安な気持ちが込み上げて泣く日もままあった。今は、いままでのそういう不安な気持ちがとても少なくて、時々幸せで泣いたりする。あと、今自分を大切にしてくれている存在が常に隣にいるっていう状況が、不思議で仕方なくなる時もある。

まだこの幸せな状況に、慣れていないのかもしれない。

こういう存在が当たり前にいるって数年前じゃ考えられなかった。

人生何があるかわからないって、本当にそうだと思う。